東京都目黒区生まれ。本名鈴木良平。
大学在学中はシンガーソングライター&バンド活動を行い
ヤマハポプコンなどの関東甲信越大会に出場。

大学卒業後文化放送が創設したラジオシティレコードに入社。
宣伝部に配属され、宣伝メディアの制作担当者になり、
広告やジャケットのアートディレクション及びアーティストのプロモーションを担当。

葛城ユキと出会い、年間200本のライブキャンペーンを行い、
ついには「ボヘミアン」のヒットを生む。
その後も石川優子などの多くのアーティストを担当。

その後、制作チームに移り、ディレターとして葛城ユキを担当するかたわら、
徳永英明を発掘。デビュー曲「レイニー・ブルー」「輝きながら」等を制作。
この頃から、葛城ユキや徳永英明の作詞を行うようになり、
ペンネーム秋谷銀四郎(または秋谷銀四朗)の名で作詞家として活動を始める。

7年半在籍したレコード会社を退社。作曲家鈴木キサブロー氏、作詞家大津あきら氏らと
作家事務所スタジアムを設立。作詞家として本格的に活動を始める。

同時に音楽・広告制作やラジオ・テレビ番組の企画構成、雑誌の編集執筆などを開始。
マネジメントオフィス、鈴木良平事務所(現・Boys of Summer Inc.)を設立。

その後、株式会社ROHの設立にも参画。

作詞家として数多くの作品を発表するとともに
音楽プロデューサーとしてもL⇔Rや貴水博之、福冨英明などを発掘プロデュース。
同時にこの頃、精力的に約半分の海外取材を行い、
海外旅行作家、小説家としても数々の作品を残す。

1995年ごろからはニューヨークに音楽活動の拠点を移し、
創作活動やレコーディング活動を行い
作詞家、音楽プロデュース活動とともに
読売新聞社、旺文社、ソニーマガジンズなどと組んで執筆活動を行い、
マルチメディアのコンテンツを中心にさまざまな企画プロデュース。

2003年より新潟NSGグループ・国際音楽エンタテイメント専門学校の
特別顧問スクールマスターに就任、学校の運営に携わっている。